社会経済史

 

 日本の中国社経史に関して一般的に言われることは、一九八〇年前後(一九八一年に開催されたシンポジウム「地域社会の視点―地域社会とリーダー」が転機の象徴とされる)から、幅広い分野で視点の変換が見られたということだ。それ以前のマルクス主義の強い影響下にあった時期を戦後の第一期とすれば、それ以後の第二期は言うまでもなく、そこからの脱却の時期であったと言えよう。

 まずこの第二期には、以前は社会や経済に関係すると考えられた多くのトピックが、より制度史的にアプローチされるようになってきた。こうした事例は幾つも挙げることができる。例えば以前は農民と国家との関係から論じられてきた徭役制度は、中国的な財政システムとして扱われるようになってきた。国家財政上の諸問題も、「原額主義」など制度的側面から説明されるようになった。階級など社会関係に即応して考えられた身分制も、現在では王朝の政策的な側面から論じられる。こうした傾向は多く、実証の進展に裏打ちされている。

第二期に見られるもう一つの特色は、仮に「中国史」という枠でくくってみると、研究のホットスポットが明清史に偏ってきたことだ。第一期までは唐以前の身分制や宋代佃戸制も重要課題だったが、時代区分が論じられなくなり、また研究者が直接中国大陸へ行って「中国社会」を異質と認識するに及び、中華帝国諸王朝の中で最も史料が多い明清史が研究の中心となったのはむしろ自然と言える。地域的にも江南と四川が殆どだ。筆者が関わっている宋代史研究会の会員が明清史合宿に参加するケースはよくあるが、逆は少ない。隋唐史も活発だとは言い難い。相対的に宋元以前の社経史に元気がないのは厳然たる事実である。筆者自身、明清をモデルとして宋を考える「明清主義」を標榜している。

 確かに現在の研究は、現代の概念を強引に用いて歴史を叙述しようとしてきた第一期と比べて格段に説得力を持っている。言説分析を重視する現代の潮流とも共鳴する。制度史重視も明清史隆盛も、言わばなるべくしてなったと言えるだろう。だが筆者が最近、同僚の刺激を受けつつ感じていることは、ここで通常研究対象と意識される「中国社会」という概念が、現実には決して実在する一個の社会集団に対応するのではない、ということだ。「中国」というのはエスニックな枠でも島のようにまとまった地理的範囲でもない。本稿の文脈で解釈するなら、「中国」とは士人たちが選択し、自ら再生産してきた政治文化の伝統であり、同時にそれが国民統合の一つの核となっている近代中国そのものなのである。第二期の社経史研究においては、我々の「中国社会」という認識と、この伝統的政治文化における社会認識とが、いとも容易に一体化してしまっている。だが士大夫の眼を通して資源配分がどうあったか、およびどうあるべきか、というのと、現実(が存在する/に意味がある、として)に資源配分がどう行われたのかというのとは、別ではないか。それが常に証明可能か否かは措くとしても、別であることを否定はできないと思う。

 筆者は最近こうしたことを感じつつ、家産分割の研究に目を向けた。「伝統中国」においては、世代が交代したさい行われる家産分割は、男子均分が原則とされる。一三世紀江西付近において、(未婚)女子は男子の半分の家産を受け継ぐとする法律が用いられた事例があるが、「中国家族法の原理」を追求されてきた滋賀秀三氏は、これをあくまで例外として重視しない姿勢を示された。かかる慣習が民間に存在したとする仁井田陞氏の主張は、実証的論点で滋賀氏に悉く退けられ、現在は女子財産権関連立法の政策的意図が論じられたり、当該条文を法制史として整合的に説明するための諸仮説が提出される段階に至っている。だが仮に地域的に非中国的慣習があったとしても、中国士大夫がこれをそのまま認識・記述しなかったのは当然だろう。そこで改めて史料に当った結果、仁井田氏、柳田節子氏以来指摘のあった法運用の地域的傾向性や、男女比二対一という民間的な原理に関係する若干の新史料を得た。現在はまだ、一部地域社会に、男女の取り分に関する異質な原理が存在した、と断言する段階にはない。だがそもそも書かれ得ないものの不存在を前提に議論すべきではないことは、了解せられるであろう。中国士大夫的社会観と現実の社会を多少区別して考えれば、その地域の経済に適合的な社会像の幅がやや広がるように思われる。社経史の醍醐味とは、歴史研究を文化の研究に終始させずに、文化に対して独立性の高い、資源の賦存状態(人口や環境)などの外部的変数、価格理論やマクロ経済の観点を持ち込むことで、より説得力のある説明を展開できることにあるのではないだろうか。

 




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